--- この震災に想う その2 ---


 
 この、悲惨な忘れ得ない記念すべき日に、南風の、しかも雪混じりの「春一番」とは今までに  

無い日になりました。 早朝からTVでは、災害の映像を立て続けに流し、被災者にとっては  

思い出したくない忘れ去ろうとしているあの瞬間を、肉親が友達が、おじいさんが、おばあさん  

の顔が・・・ 助けられなかつた悔しさが・・・ 私も何か出来ることはないのか、あぁ〜もう  

少し私も若かったらなぁ〜 この年寄りが現場へ行っても邪魔になるだけだしなぁ〜 すると、  

茨城県の親戚から「水が欲しい」と電話あり、急いで18リットルのポリタンク、ポリの酒容器など  

かき集め、富山の天然水を汲み入れ(200リットル位)車に積み走った。災害とは、直接の被害  

だけではなく、物の流通にもかなり影響があり、途中のガソリン給油所の休業(ガソリン不足)  

道路の渋滞など・・・ やっとの思いで「水」を届けた思い出がありますが「帰路は大丈夫〜 ?」と  

返って心配になって来たものです。時の総理大臣の「○○」さん、あんたは運が悪かったね〜  

毎年、総理大臣をはじめ、各大臣がころころ入れ替わりの日本政府は世界中にも珍しく、特に  

「危機管理対策」などの答弁はとても覚束(おぼつか)なくしどろもどろ、だだ、うろたえて  

いるのがTVで見ていて「腹立たしく」いらいらしていたね。現場からの情報は届かず、その  

被害の大きさも把握出来ていない。 とうとう〜福島の原発、爆発、「そんなぁ〜」 東電は  

「大丈夫、安全です」ここに至ってまだそんな嘘の報告を? メルトダウン ? なんなんだぁ〜  

それは〜 特に「東北出身の」大物議員「小△」は、こんな時こそ大いに働き、政府に助言し  

東北人のため援助。救援と期待していたが、肝心の時に影で「こそこそ」と隠れ、男になりそこ  

なったね〜 その取り巻き連中たちも「シ〜ン」と静まり、「いざ〜」と云う時は、使い物に  

ならない連中だね。ある人は「政治家は居なくなったよ、皆んな政治屋ばかりだね」な〜るほど〜  

復旧には、この「のろのろ対策」ではまだまだ時間が掛かりそうだか「自分の命は自分で守る」  

粘り強く頑張って下さい。この「一周年」に辺り亡くなった方々に黙祷しご冥福をお祈りします。  

                                                   合掌           


      

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