--- 鰤たちよ! ---


                                                                                                                   
 鰤さん達よ、団体で南下の途中、ようこそ富山湾へ、毎年ご苦労さん。

ここで「鰤」についてのルーツを調べると、正式学名は「ススキ目アジ科

ブリ属」とある。

戸籍は3月〜5月に九州付近で誕生。1尾で一年に約300万粒の卵を

生み「モジャコ」として稚魚になり、流れ藻に付着しエサを捕りながら

成長。但しその生存率はわずか、0.1%、3000尾と言われている。

春〜夏にかけて日本海を北上し、晩秋から初冬にかけて南下を毎年繰り

返す。

寿命は最長7〜8年、体長1.5m位に体重13〜15Kgになる。      

モジャコ(当歳魚)⇒ツバイソ⇒コズライ⇒フクラギ⇒そしてガンド(1歳

魚)⇒二マイズル(2歳魚)⇒ブリ(3歳魚)へと成長、それからサンカブリ

(4歳魚)⇒オオブリ(5歳魚)と呼ばれる。

 さて、その回遊の習性を知った人間は、多分、大昔は一本釣だったと

思われますが、江戸時代頃から九州辺りで敷き網での捕獲が考案され、

この時期に大量に捕るようになった。

 この富山湾の沿岸でも、大敷き網の漁法が盛んで、沖合いに向かって

何キロもの網をカ―テンのように張り、鰤が網を伝って逃げ口を探して

いる内に袋の中に入ってしまう大仕掛けの漁が県東部8枚、県中部37枚、

県西部34枚張り巡らされている。これではやはり逃げ場が無いと言って

いいでしょうが、ここが『鰤と人間の知恵比べ』。

私は以前から鰤に進化論を説いてきた。太古の昔からの回遊のルートを

修正し生き残りを考えよと!

動物の進化は、長い長いスパンで見なくてはと思いつつも「もう〜いい

だろう革命を起こせ」と!! 

漁師の人に叱られそうだね〜。しかし、江戸時代から富山の鰤は『正月』

には欠かせない魚として食卓に上がり、『出世魚』として祝い事にも用い

られ重宝がられている。

 また、海の無い岐阜、神岡、高山、遠くは松本、長野まで加工された

『寒鰤』『塩鰤』として牛車で、又は歩苛で運ばれ、『冬の海の王者』と

しての貫禄は今も健在で威厳あり・・・

 従って「鰤達よ」今日も県内の漁港では、仲間達、数千本が水揚げされ

ているぞ〜。生まれ故郷の九州へ何本の仲間が辿り着くのやら・・・ 

そして、また来年も歴史は繰り返えされるのか

一回遊、1CMつづでもと願いつつ・・・   


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