---  能登半島地震に思う ---


 
 2007、3/24 午前9時42分 突然、突き上げるような振動。  

2回、そして横揺れ、30秒くらい、震度5  

  「 これは近いぞぉ〜 」  

我が家は3階のボロ家、私の部屋は3階、丁度、娘と一緒にパソコンを  

していた時でした。  

  「 これは、でかい地震だぞぉ〜 」  

テレビとパソコンのディスプレイが落ちそうになったので、  

  「 手で押さえていろ〜 」  

この時間帯は、朝食も済ませていたので『火の始末』は大丈夫でしたが  

津波は来るかとすぐにテレビをつけるが、その情報の待つ時間のもどか  

しさ。  

そしてすぐ、無線の全バンドのスイッチを入れる。  

その時点で『携帯電話』は不通、ようやくテレビでの報道が流れる。  

津波はとっくに来ているとの事、数10センチ、震源は能登半島の沖、  

門前沖とのこと、富山湾内にはこないと一安心したが、それまでは防災  

の関係に携わっていたものですから、いざ〜と言うときは出動態勢で  

待機しなくてはと思っていましたから、こんな時には『無線』の活躍はと、  

ワッチしていましたが意外と静か、いやいや〜それどころではないのかも。  

テレビでは「門前、輪島」方面に被害甚大と報道。  

今から10数年前に輪島は高州山移動したときには、輪島各局には大変  

お世話になった記憶があり、案じています。  

道路は寸断、家屋は倒壊と、時間と共にその被害は大きく報道され、  

その被災者は学校や公民館に避難、報道画面を見るとその殆どは年寄り  

ばかり、高齢化、過疎、が現実である。  

救援物資、ボランティア、ケアーと大変なことである。  

「天災は、忘れた頃にやってくる」とは、このことである。  

しかし、いざっ、すわっ、となったとき、日頃の訓練通りには行かないもの  

である。  

私も何かの形で、援助しなくてはと思っています。  


       

 次へ 

 戻る(徒然なるままにエッセーのページへ) 

 ホームへ戻る