--- 私の青春時代 その2 ---

( 故郷をあとに )


                                   
 当時、我が家は駅前で田舎としてはちょっとした「食堂」を営んでおりました。寿司職人、  

和食職人、中華職人、見習一人、親父、お袋、兄貴、姉貴、飯炊き婆さん、その隣に雑貨と

酒類販売、配達と忙しかったのであります。

私も辞職してからは、食堂の出前や配達の手伝いには事欠かなかったのです。むしろ、  

親父はそれを望んでおりました。

 我が家でサラリーマンとなって給料を貰ったのは、私が始めて。代々商売やで続いてきた

家であります。始めて貰った給料袋を皆で、

   「 見せろ、見せろ 」

と大騒ぎのあり様・・・

そのまま生活するのには何の不足もないのですが・・・  

先代おじいちゃんは「せんべい」の製造販売、その当時、親父は、東京の日本橋の呉服屋

「角や」の番頭までやっていた。拠所なく、田舎へ呼び戻され、

   「 あのまま、日本橋にいたらなぁ〜 」

と時々つぶやいていたものです。そう〜ですね〜 私の人生も随分違ったものになっていた

ことでしょう。

 私も「東京」に憧れていましたが、さぁ〜て〜何を目的に何をやるか、随分と悩みました。

叔父さんは神田司町に、叔母さんは神田猿楽町に、その他、親戚は都内にはありましたが、  

全く縁故を頼らず上京したいと思っていました。

親父の友達の「お菓子や」さんが「新宿の中村や」に知人がいるとのこと、「東京、新宿、

中村や」と聞けば、田舎者の私の頭の中は「グルグル、パニック状態」。早速、上京の支度  

にかかる、当時はボストンバックに唐草模様の風呂敷包み、両手にぶら下げて家族、友人に

見送られ、暗いプラットホームの夜汽車に乗りこみました。一路終点の「上野」へ〜

                                                  つづく


  

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